貴樹の独り言

喜寿の気楽なお一人様生活のあれやこれやの記録です

一心寺と「ちとせ」と「よしもと」は浪速の魂です。

 


久しぶりに大阪に来ました。

先ずは、

天王寺の一心寺にお墓参り。

 

大きな塑像が飾られた門を入ると、

正面すぐに観音様が佇んでいます。

美しい仏様で大好きです。

 

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骨仏様が安置されてる御堂前で、

お線香と蝋燭を購入し、

戒名を書いて供えます。

 

祖父母は、旧堂に、

母は、新堂の仏様になっています。

 

本堂に戻って、大きな金色の仏様に

今年の安寧をお願いして、

今回のメイン行事は終了。

 

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一心寺は大阪の天王寺に在り、

骨仏様のお寺として有名です。

 

お墓を持たない人達が、

ここ一心寺に納骨して、

そのお骨を何年分も集めて、骨仏様を作って

お祀りされているのです。

 

祖父母、母、叔母がここに納骨されていて、

すでに2体の仏様になっています。

 

何十年にも渡って作られた十体の仏像に、

沢山の身内の人達が

お参りするので、いつも人がいっぱいで、

お線香が絶える事がありません。

 

個別に墓守をしなくても良いし、

常にお花で美しく飾られているので、

決して寂しく無い環境は

願っても無い墓地です。

 

でも、墓終い問題が話題になって、

次世代の墓守負担を無くす傾向も

多くなっている昨今、

納骨する人が増えたのか、

今は受付して無いそうです。

 

庶民に寄り添い、

現代的センスを先取りした、

浪速人の、合理性と

規制の枠に囚われない先見性の

典型の様な

一心寺のシステムには感心させられます。

 


一心寺が在る

茶臼山から天王寺公園一帯は、

徳川家康豊臣秀頼が戦った

大阪の陣で

豊臣方の真田幸村達が陣を張った所です。

 

 

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幸村の必死の防御にも関わらず、

徳川勢に負けて、

大阪城は燃え落ちてしまい、

以来、全てが江戸中心に変わりました。

 


一心寺から坂を下ると、通天閣前の

恵比寿町駅ですが、

久しぶりなので、

少し遠いけど歩いて

千日前にある「ちとせ」で肉うどんを

食べることにしました。

 


堺筋日本橋から道具屋筋に入って、

なんばグランド花月の裏手まで来ると、

有名な

「ちとせ」があります。

 

小さな店だけど、

大阪では珍しく

いつも外に行列が出来ています。


売れない芸人がうどん代を、

お金が無くて出世払いにしてもらい、

後に、売れた時にお礼として、

お店をネタにして宣伝した事から、

有名になったと言われるお店です。

 

今は、グランド花月の中にも出店していて

こちらもいつも行列で大盛況です。

 

「情けは人のためならず」

(この諺も、人のためにならない、と誤訳される事も有るそうですが)

庶民が支え合う

浪速人情の典型みたいな話です。

 

「ちとせ」では、
肉吸い (肉うどんのうどん抜き)と、

卵かけご飯を注文する人が多いですが、

私は、肉うどん派です。

 

 

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少し甘く炊いてある牛肉がたっぷり入っていて、

薄味のお汁と共に食べる時、

大阪人で良かったと思うのです。

 

うどんを食べて、

千日前道具屋筋を抜けると、

そこは浪速のメイン通り、

 

「なんはグランド花月」 の前。

 

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吉本も今や全国区、中心も東京に移って

大阪はサブ的な立ち位置になったのは

時の流れで仕方ない事なのかもしれません。

 

でも、東京には決して行かず、

洗練されず、

浪速の反骨精神に

裏付けられた漫才師や芸人の、

どぎついギャグやコテコテの大阪芸は

ここでしか観れないお薦めものですが、

今日は、かなり豪華なメンバーです。

 

 

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この辺りから道頓堀まで、

たこ焼き屋、金龍ラーメン、お好み焼き、

など何軒も並んでいて、

ごった煮の様な煩雑な街並みが

ずっと続いています。


少し前まで、コロナで人出も少なくなって

ひっそりしていましたが、

年が明けてからは

人出も少し戻って来てる様です。

 

でも、

普通の人達の会話が漫才の様に面白くて、

551の豚まんはもっと脂ぎっていて大きくて、

ルールに嵌め込まれない

独自の反骨精神が

エネルギッシュに満ちている大阪は、

まだまだ戻っていない様です。

 

今の街に、渾然一体とした

大阪ならではのエネルギーは感じられません。

 


大阪の陣で豊臣が負けて、

徳川家康の江戸に中心が移って数百年。


経済成長期、バブル、デフレの時代を超えて、

令和のコロナで、

大きな転換点に差し掛かっている様です。


大阪は

地方都市の一つにしか過ぎなくなるのか?


何かの出口戦略を

吉村さんに期待しますが、

 

先ずは、大阪庶民の熱量が復活しないと

何も始まらないのかも〜です。

 

 

うどんは大阪の薄味に限ると力説したい

お一人様です。