貴樹の独り言

喜寿の気楽なお一人様生活のあれやこれやの記録です

友達の定義はなに?

 

 


随分と前ですが、「友達はいますか?」

と質問された事があります。

 


返した返事は「友達の定義はなに?」

でした。

 


まぁ、それなりの歳だったので、

そんな小難しい返事も許されるでしょう。

 


実際、

何を持って友達と言うのかが

分からないと返事のしようが無いです。

 


例えば、

一緒に食事やお茶をする人を言うなら

「居ます」

 


旅行に一緒に行く人を言うなら

「居ます」

 


買い物を一緒に行くを言うなら

「必要な物しか買いに行かないので、居ません」

 


何でも隠さず話す人を言うなら、

「居ません」

 


なので、

何を持って友達と言うのかを

ハッキリしてもらわないと

返事が出来ないのは当たり前のはずです。

 


ただ、

質問者は漠然とした定義で単に

お友達はいますか?

はい、居ます。

 


なんて会話を期待したのでしょうがね。

 


大概の場合、

人はこの様に曖昧な会話を、

ステレオタイプで交わしながら

暮らしているのです。

 


いちいち、

それに絡んでくる人は

ウザイ人の分類に入れて

無かった事にしているのでしょう。

 

 

質問に対して友達って何?

と問い直してたように、

物事の根本から考える事を

哲学的に考えると言います。

 


「哲学的に考える」とは、

「そもそも、それは何だったのか」を

考えることです。

 

(注)

広辞苑

てつがく‐てき【哲学的】

〘形動〙 「物事の根本原理にさかのぼって、

思考したり行動したりするさま。

思弁的に原理を求めるさま。

また、哲学の立場に立った思いにふけるさま。」

 

 

21世紀は、

改めて哲学の時代だと言われ、

哲学に関する本が沢山出ています。

 

最近、

面白かった本です。

 

 

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哲学とは何か?

それはさまざまな物事の“本質”を

とらえる営みだと言えます。

 


そんなこと本当にできるの?

そう思う人もいるかもしれません。

 


特に現代は、「相対主義」の時代。

 


つまり、

世界には絶対に正しいことなんて無く、

人それぞれの見方があるだけだと言う考えが、

広く行き渡っている時代です。

 


たしかにもちろん、

この世に絶対に正しいことはありません。

 


でもそれは、

何事についても

誰もが共通に納得出来る(共通了解)に

たどり着けないと言う事を

意味するわけではないです。

 


相対主義の現代は、

「絶対に正しいことなんて何もない」

と言って

問題を終わらせようとする傾向にあります。

 

例えば

「よい社会って何だろう?」

「よい生き方って何だろう?」

 

などの答えの出にくい問いに直面すると、


「ま、それって人それぞれだよね」

で済ませようとしてしまいます。

 

 

でも、だからこそ

その本質を捉える努力が、

必要な時代になっているとも言えるのです。

 

 

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21世紀なのに

人類はまだ戦争を行っています。

 

 

人類は、長い年月にわたって、

命の奪い合いや

権力者が支配する時代を生きてきました。

 

 

戦争を、無くすにはどうすれば良いか?

と哲学者たちはずっと考え続けてきました。

 


戦争は天災のようなもの、

だから無くす事は出来ないと考える人、

戦争は“神の意志”だと考える人もいました。

 


戦争をなすには、

みんなの合意で最高権力者を作り出し、

統治してもらうしかないとも

考えられました。

 


しかし、権力者が

統治すればひとまず戦争は無くなるとしても、

 

大多数の人民は、

支配され自由のない存在になります。

 

 

 

ルソーは、

人民は権力者に従えというのは、

ある意味ではひっくり返す必要があり、

 

いったん作り上げられた権力も、

人民の合意に従わさせて、

強力な権力者ではなく、

みんなの合意による社会を作る必要がある。

 

そう訴え、

それが、

現代の民主主義社会の土台になったのです。

 

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ルソーの思想を受け継いだヘーゲルは、


「なぜ人間だけが戦争をするのか?」は、

 

人間が、

「生きたいように生きたい」

つまり「自由」と言う

欲望を持っているからだと考えました。

 


「だから人類は、

互いに自分の「自由」を主張し合って、

命の奪い合いをつづけてきたし、


一方が勝者になり、

他方が奴隷になっても、

そこで戦いが終わることはない。

 

 

「自由」に生きたい人間は、

「自由」を奪われることに我慢ができないし、

 

支配された者は、長期的に見れば必ず

支配者に対して戦いを挑む。

 

こうして人類は、

長い間戦争を繰り返し続けて来た。

 

 

富への欲望、権力への欲望、憎悪、プライド……

戦争の理由はたくさんあるが、

その一番底には、

僕たち人間の「自由」への欲望がある。」

 

 

ヘーゲルは、この様に

人類がなぜ戦争を無くす事が出来ないのか、

その“本質”を洞察しました。

 

 

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哲学のすごさは、

こうやって問題の“本質”を明らかにすることで、

その問題を克服する為の

考え方を切り開く点にあります。

 

 

ヘーゲルは、

 

相互に

相手が対等に「自由」な存在であることを

認め合うこと。


そのようなルールによって、

社会を作っていくことによってしか

人が自由に平和に生きる道はない〜とも、

 

解きました。

 


「自由の相互承認」の原理と言う、

 

現代の民主主義の一番底を支える原理です。

 

 

しかし、未だに

戦争の無い社会は構築されていませんし、

今は、

民主主義の転換点とも言われています。

 

再度、

哲学の時代と言われる所以でもあります。

 

 

 

物事の本質を考えてみる〜

なんて

理屈ぽくて、面倒くさいですが、

脳の活性化には 面白いかも?

 

なんて、軽い気持ちで

ちょっとトライしてみるのも良いかも?

です。

 

 

 

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ただし、

自分の経験を過度に一般化してしまう

「一般化の罠」に陥らない事や、

 

AとB、どちらが正しいですか?と

問われると、

どちらかが正解のはずだと決めつける

 

「問いかけのマジック」に、

ハマらない様にする注意が必要です。

 

 

今なら

「友達は居ますか?」

と問われて、

 

「はい。信頼している人ならいます」

と答える

お一人様です。